株式会社マネーパートナーズ ホームページ寄稿 二〇二〇年 十一月
出来事が多いと時の経つのが早いが、菅政権もあっという間に成立一ヶ月を超えた。派閥構造の上で演じられた政権交代劇ではなく、無派閥という非常態の空間を、類稀なる才覚と強運で、あれよあれよと云う間に駆け抜けて宰相の座を占めた菅首相にとっては、初日からがAIの手を借りたいような難しい方程式の山だったろう。安倍政治の継承か革新かなどというテーマはむしろ難易度の低い部類だったかも知れない。
難問の多い中でもその最たるものは何時衆議院を解散するかという問題だろう。とくに菅内閣の場合、任期が来年九月迄と切られているうえに、内閣の存在自体が有力派閥の明確な支持というより、人気投票的な支持率の高さに支えられているから、衆院選挙の結果は直に菅内閣が単なる選挙管理内閣なのか、本格政権の有資格者なのかを決めることになる。したがって、衆院解散が何時かということは菅首相個人にとっても今生の大決断であるし、議員達にとっても死活問題となる。
それにしても、衆院解散が何時あるだろうかという話題がこれ程頻繁に、これ程大きな関心を集めるというのは、すぐれて日本的な現象である。衆院解散権が内閣総理大臣にあるため、総理は議員達の生殺与奪の権を持っている反面、何らかの理由でその権限を使えなくなっていると見透かされると死に体になる。
議員達が何時解散選挙があるか判らないから緊張感をもつのは良いことだという人もいるかも知れないが、選挙の不安に脅えて目先のことしか考えなくなるのは決して良いことではあるまい。政治の長期安定というのは決して悪いことではない。毎年首相が変わるような国は碌なことがないのは日本人が良く知っている。だが、長期安定が良いのは、そのお陰で長期安定していなければできなかったであろう難しいが重要な課題が解決された場合である。
七年を超える安倍長期政権について私が一番残念に思うのは、戦後日本政治史にも珍しいこの貴重で強力な政治的資産(武器)が無為に費やされてしまったことである。安倍長期政権がスタートした時、日本は歴史的な苦境にあった。家計・企業を蝕むデフレマインド、成長率低下、少子高齢化、持続不能な社会保障制度、財政悪化である。このいずれも短期間に片付く話ではない。政治家が有権者にことの重要性を説き、応分の負担の必要性を納得してもらい、長期的に安定した政策を作って、一歩を踏み出さねばならない。
しかし、解散の可能性があるかのような空気が絶えず永田町やメディア界を流れているような状態で、政治家はどうやって有権者に負担を納得してもらう話などできるだろうか。解散の脅しという手段が使われ続ける限り、長期安定政権は改革のための武器にはなりえず、むしろ大衆迎合、とくにシルバーデモクラシーの推進に役立ってしまう。
安倍長期政権が終わった日本を見直して気付くのはさまざまな分野における国際的な競争力の低下である。そしてその多くが目先のオブラートで包まれている。政治家達が「正論を言わねばならないし、云っても落選しない」と思えるのは八割が自分の力次第だが、二割は指導者がはっきりと示す国の進路であろう。